直径六寸

傍ら三寸くらいまでの諸々について

「推しの幸せを願うこと=結婚を受け入れること」という短絡的な関係性に終止符を

当該記事はRくん(某事務所所属アイドル仮称)の発言を機にいろいろなことを思考する中で超大作レポートを記述してしまった直後、推し歴最長を誇っていた俳優のTくんが結婚を発表するという大事件に振り回され、思考回路はショート寸前に陥った悲しきモンスターが、前々回にて述べた自身の意見を洗い直し、うやむやに終わらせていた痛いところを突きつつ、更には自分がいかにめんどくさく拗らせてしまったややこしい人間であるかについて再発見していく地獄のような物語である。

 

※これから続く長文に備え、まず現段階でのUターンを推奨する

 

前々回の記事というのはコレ。

naclsalt.hatenablog.com

わざわざきしょい超大作レポートを改めて掘り起こす必要もないんやけど、一応。この記事だけで話が帰結できるならいいんですがそういうわけにもいかんので参考資料的な意味で載せとこうかなと。

ホンマのこと言うと、過去記事のリンクを貼り付ける機能とか使いこなせてるとかっこいいかな、みたいなダサい理由が9割5分。

 

※何度もしつこく申し訳ないが、以下の記事はすべて自身の主観であり、100人いれば100人ともがこの話題に関して何かしら異なる意見を抱くものであるという事実を念頭に置き、可能であればそのままここを立ち去って是非とも別のことに時間を使って貰いたい。

 

前々回の記事にて自分は、各々の芸能人がそれぞれ活躍するジャンルにおいて求められるパフォーマンスを完遂できてさえいればよく、結婚反対派のファンは「芸能人の提供するパフォーマンス」と「恋愛や結婚を許せない気持ち」を天秤にかけ、後者が勝る場合には、彼ら彼女らのファンという立場から潔く身を引く他ないという極めて抽象的な理論を打ち立てた。また、例外的に、アイドルという職業は「夢(虚構)の演出=求められるパフォーマンス」であり、恋愛・結婚の報道を出さないことが虚構の演出に直結するため、恋愛・結婚は公として認めがたいという趣旨の記述もした。

繰り返しになるが、ここで特に注意していただきたいのは、自分は彼ら彼女らの私的領域(プライベート)である恋愛・結婚を全面的に禁止することを望んでいるわけではないという点である。ただファンの眼前にアイドルの私的領域を自ら晒すような真似はしないでくれという要望に過ぎない。

しかしながら、週刊誌やSNS等が猛威を振るう昨今では、私的領域を100%隠し通すことが困難なのもまた事実である。いかにアイドル本人が注意深く振る舞っていても、周囲は私的領域を暴くことに必死であるため、厳しい戦いを強いられることもしばしばだろう。それでも、アイドルを生業とすることを決意したのならば、私的領域の不可侵性の研磨に徹底することも必要なのではないだろうか。少なくとも、隠そうという努力くらいはすべきである。週刊誌に撮られてもなお、素知らぬ顔で対策を講じることもせず、再び似たような報道をされてしまっているのは笑止千万、プロ意識の欠片もないのではないかと疑ってしまう。匂わせ?話にならん。当然、結婚を発表することも私的領域の公開と同義であるため、アイドルを自称するならば最も忌避すべき発表ではないかと自分は考える。

上記の見解に関する具体例として先述したRくんとTくんを持ち出すならば、Tくんは俳優業を生業としているため、今後求められるものは依然として俳優としての資質であり、結婚に対して周囲にとやかく言われる筋合いはない。対してRくんはアイドルを生業としているため、私的領域の公開は控えるべきであり、恋愛や結婚の報道は避け、アイドル業ではなく、音楽業あるいは俳優業に身の振り方を変更する決断を下すまでは、ファンに虚構を演出し続ける必要がある、というわけだ。

 

と、ここまでは各々がもつ多種多様な感情論の一切を排除し、できる限り客観的であろうと努めた場合に導かれた持論Aである。

 

前置きが長くなってしまった。ここからが本題かつ地獄の始まりである。

上記のように割り切って生きていけるなら自分のようなめんどくさく拗らせた悲しきモンスターが錬成されることはないし、そもそも感情論を一切排除できるような人間はオタクにはなっていない。推しの存在に対する激重感情に振り回される地獄のような日々の中で、それでも推しに光を見出すのがオタクなのだ。

いや御託はええわ。さっさと始めよ。

 

いきなり話を180度ほど転回させるが、上記持論はアイドルの定義が曖昧な今日の社会においてはまず通用しない。(いや厳密にいうと、Rくんを含めたアイドルを「自称」している面々には適用可能な論理かもしれないので、通用しないと断定したのは早計だった。すまん。)

アイドルの定義が曖昧とはどういうことか。

近年、多くの界隈において、アイドルを自称していなくても世間一般あるいは大多数のファンの通念として推しが「アイドル化」している現象というのはしばしば観測される。アイドルという言葉そのものを辞書等で引くと、偶像、崇拝対象、人々の憧れの的といったニュアンスの意味が多く見られる。当該記事においては「アイドル=偶像」と定義させてもらう。偶像とは元々、神仏を象った信仰対象となり得る像である。つまり偶像とは目に見えない何かを人々が勝手に象った「虚構」に過ぎないのだ。アイドルに求められるものを再三「虚構の演出」としてきたのはこのためである。そして偶像というのはあくまでも受け手であるファンが生み出してしまうものであるため、芸能人との認識に差異が生じる。こういった各芸能人が生業として提供しようとしているもの以上のものをファンが求める傾向が強まっている状況が即ちアイドル化である。言い換えれば、芸能人は自身の肩書から意図されるパフォーマンス(主な例としては俳優であれば演技だったり、声優であれば声だったり)を提供したいと考えているのに対し、多くのファンが虚構の演出までもを対象の芸能人に求めている状態が生まれてしまっているということになる。

ファンの勝手な幻想に巻き込まれて可哀想だという意見は当然に的を得ているが、極論を言うと芸能人を生かす(汚い言い方をすればお金を落とす)のはファンの存在であるため、ファンの勝手な幻想だろうと何だろうと答えなければならない場合がどうしても生まれてしまう。理屈では最大限のパフォーマンスのみを提供すれば十分なはずが、ファンの理想の押し付けにより私的領域の秘匿を余儀なくされる芸能人は多い。

かく言う自分も俳優だったりアーティストだったり、アイドルというカテゴリには属さないはずの芸能人に対してそのような理想を押し付けてしまっている部分は多々ある。俳優のTくんの結婚に対し、どうしても複雑な感情を抱いてしまうのはこの点からだろう。持論Aに則れば「今後も素敵な演技を見せてくれさえすれば十分です!結婚おめでとう!幸せになってね!」というのが理想的なファン像である。が、いくら頭では分かってても、小さい頃からずっと好きだった人が結婚するとなると、なんとなく寂しいような複雑なような、そんなん言えた立場ではないんやけど、めっちゃ軽い失恋みたいな、なんとも言えん気持ちになってしまう。もうこればっかりは心の問題なのでどうしようもない。これからもT君のことは全力を挙げて応援したいし、幸せになってくれという気持ちも勿論ある。死ぬほど厄介なオタクですまん。

 

アイドルではない相手にアイドルのような振る舞いを求める場合があれば、当然、逆の場合も存在する。

アイドルを自称する芸能人の結婚を気にしないタイプの存在だ。彼ら彼女らの歌が好き。踊りが好き。演技が好き。バラエティでのトークが好き。etc…。アイドルではあるが彼ら彼女らの織りなす虚構ではなく、各々のパフォーマンス自体が好きだという場合には恋愛なり結婚なりは特別気にならない。

自分の場合、某6人組アイドルグループの半分以上が既婚者でありながら、なお彼らを応援したいと思えるのはそういった理由からである。自分は彼らの歌が好きで、踊りが好きで、6人揃ってわちゃわちゃしているところを見るのが好きで。だから、既婚者という点を気にせずに彼らを応援できる。これは決して結婚を快諾したわけではなく、ただ気にしない、そんなことよりも歌って踊る彼らが見たいというだけ。自分はたまたま虚構の演出に重きを置かなかっただけで、結婚を理由に彼らから離れてしまったファンの存在もたくさん見てきたので、彼らを完璧なアイドルだとも思えない。ここもまた複雑なところなんですけど、それでも私は彼らが好きだ、と、ただそれだけ伝われば十分かと思う。

 

さて、持論Aの観点からアイドルを自称するうちに自身の恋愛や結婚を(主体的・客体的問わず)公表するのはいかがなものかという結論が導かれているのは散々述べてきた。最愛の人の存在を自分から知らしめておいて「ファンが一番」なんてどの面下げて言ってんだ?結婚を発表した時点で一緒なのだから潔く「金づるとしてこれからも宜しく」と言ってくれたほうが何倍もマシである。私的領域を自ら好んで人前に持ち出すアイドルが居てたまるか。自分で選んだ職業なのだから、虚構の演出という作業にもプロ意識をもって挑んで欲しい。一切の私的領域をファンの眼前に持ち出すな。とまあ、簡単に言うと「恋愛や結婚が快諾されがたく、ファンの存在抜きには成立しえない職業を選択したのだから、誠心誠意ファンと向き合ってくれよ。それができないならアイドルを自称するのは辞めた方がいいよ。」というのが持論Aに則った自分の見解。(この話を知人に熱弁したらアイドルに求めるハードルが高すぎると笑われてしまった。が、この話について誰かに理解を得たいとは思っていないし、かなり拗らせたややこしいオタクであることも自覚している。世のアイドルオタクが全員こんな風に考えているわけではないのでその点については注意してほしい。)

しかし、結婚したとしてもいまだアイドルとして活躍している場合はたくさんあるし、ファンからの需要も当然存在する。アイドルを辞めるしかないと先述したものの、では実際にアイドルを辞められてしまうと、それはそれで辛い。言ってることが無茶苦茶だという批判は甘んじて受けよう。なんせいま自分はかなり無茶苦茶なことを言っている。

私的領域を持ち出したいならばアイドルを辞めるべきだが、結婚したからといってアイドルを辞めないでくれ。

────は?

WAKATTENNEN。無茶苦茶言うてる自覚もあるねん。結婚してもそれでもアイドルの○○君が見たい場合も存在するねん。そして同時に、なんでアイドルのくせに結婚してしもたんや…という厄介な感情もそこには存在してるねん。此処がややこしいオタクたる所以やねん。だからこそ、私的領域での恋愛や結婚に文句をつけたいわけじゃない(裏を返せばファンの見えるところじゃなければどのような人間関係を築いていても関係ない)と口では言いつつ、そもそも私的領域だろうが恋愛や結婚が存在しなければ何不自由なくアイドル-オタクの関係性を維持できるのにという淡い幻想を抱いてしまうのだ。アイドルだって人間だという反論はこの領域にきて初めて効果を発揮する。プロ意識への理想を語るのは簡単だが、人間なのだから完璧な虚構を演じ続けることは不可能であることもまた事実。アイドルに対して抱く理想と、人間が故に理論通りには事が運ばない現実との間にうまく折り合いをつけられれば、もっと楽な気持ちでオタクができるのであろう。分かっている。分かってはいるのだが、自分もまた人間なのでそう簡単に割り切れない。

 

アイドルだって言ってたくせに結婚するなんて裏切りだ!と叫び理想通りにいかないからと嫌いになれれば楽だろうし、結婚なんて関係ないよ!○○君大好き!と脳内お花畑にアイドル側が理想(カモ)とするオタクを続けられれば幸せだろう。ややこしく渦巻いている感情をどちらかに振り切ってしまえればこんなに頭を使わなくて済むのに、価値中立性を保とうとする理性的な自分が持論Aと感情論との折衷案を捻り出そうと必死になるから、めんどくさいオタクが更にめんどくさい人間へと変化していく。

極論、こんな訳わからん思考活動を課してきた張本人であるRくん(別に彼本人が課してきたわけではなく、自分で勝手に解釈して勝手に頭を使ってしまっただけだが)に怒りをぶつけられればいっそ楽なのに。自分の拗らせためんどくさい人間性と向き合って自己嫌悪に陥る。いっそのことRくん辺りに「こんなめんどくさいファンは要らねえや!」とかなんとか言われて海に沈められたい。最期に見る景色が推しの冷たい視線ならそれはそれで悪くない人生だったと言えるだろう。最後の最後で謎の癖を晒すな。

 

あれ?こんなに辛い思いをしてまでなんでオタクやってるんだ?あぁ、そうか、好きだからか。それでも推しを嫌いにはなれないからか。自分はこのループを繰り返して三次元のオタクをこれからも続けていくのだと思う。