直径六寸

傍ら三寸くらいまでの諸々について

初っ端なのに自己紹介要素ゼロじゃない?

このブログを開設するに至った経緯というのは極めてシンプルで、きっかけはたった一言。

 

大学生ってすぐNote始めるよな(笑)

 

これ。

正直に言ってしまうならば、最初この一言にはちょっと嘲笑的な意味も含めていたというのは否めない。大学生になったからって、いきなり作文の才能が開花するわけでもないのに!読書感想文一つですら夏休みの間に書ききれるかどうかのぎりぎりを綱渡りしていたような学生が!いきなり文字書きを自称しようとしちゃったりなんかして!みたいな。

いやしかし、この嘲笑こそ、自分の視野の狭さが十分に表れたアホ丸出しの愚論なのではないだろうか。

大学生になってNoteを始める?いいことじゃないか。文章を書く機会は多ければ多いほうがいい。これは間違いない。読書感想文を忌み嫌い、一冊の児童文学と数枚の作文用紙に対して、鉛筆と消しゴムだけを手に夏の陣を仕掛け、しかし毎年のごとく敗北を重ねてきた学生たちが、いま、自ら筆を執り文章を書こうとしている。素晴らしいことではないか。それに比べて自分というのは。達観した人間かのように振る舞い嘲笑し、そのくせ何もせず無為に人生をすり減らして。なんと嘆かわしい存在か。今こそ、周りの大学生たち同様、Noteに挑んでみるべきではないか!時は来た!!

 

でも!やっぱり!

ここでNoteを始めるのは周囲の大学生に迎合してる感があって嫌だ!!!

 

で、はてなブログ

素直にNoteを使わない辺りが捻くれ者を演出してる感じがあって逆に恥ずかしい気もするけれど、それを言い始めるとキリがないので。

実際のところ、Noteとブログの違いが何なのかはよくわからない(検索結果の最上位に登場したNoteとブログの相違について事細かな説明を施している記事を読んでみたものの私にはやっぱりよくわからなかった)し、とりあえずブログの形をとっても差し支えないだろう、という理由ももちろんある。要するに長めの文章が書ければいいんでしょ。その媒体がNoteだろうがブログだろうが大差はないはず。どっちのツールを使ったからと言って文面が著しく華やかなものになるわけでもあるまい。

 

上記に述べた理由がただの起爆剤に過ぎず、もともと文章を書いて発表することが好きってのはあります。しかも一方的に。

この「一方的」ってのがめちゃくちゃ重要で、例えば、メールだったりLINEだったりというのは相手とのメッセージのやり取りが主の所謂コミュニケーションツールであって、どうしても他人の心情を慮る必要が生じてしまう。ここがとても苦痛で嫌い。言い切ってしまうのはよくないか?…いや、嫌い。あ、苦手って表現にしとくか。とにかく業務連絡以外でメッセージのやり取りを改まってするというのはどうしても怠くなってしまう。例えそれがものごっつい好きな相手だったとしても。

文字での意思疎通って便利なんやけど限界がある気がするし、文章から相手の感情の機微を読み取るってのはどうしても難しいものがある。これはメールやLINE等の手段のほうに非があるんじゃなく、文字というコミュニケーション手段の限界とそれをうまく扱いきれていない人間そのものの限界であると私は考える。

また、自分と他人の二人以上の人間が登場人物になるツールというのは、当然自由度が低い。相手の返答が毎度必ず自分の思い通りの位置にストレートで来るとは限らない。どちらかというと変化球のほうが多いわけであるし、たまにはデッドボールだって生まれる。これはどうしようもない。

でも、ずっとそれだけってのは私にはしんどい。常に相手の一挙一動から新庄までを気遣って発話する場面しかないなんて、そんなしんどいことがあるか?

一方的すなわち他でもない自分との対話をそのまま文字にして発信する尋常じゃない程の自己満足ツール。素晴らしい。このブログの支配者は自分で、対話ではないから相手の顔色をうかがう必要もなければ、自分の言葉を突然遮られることもまずない。文面を柔らかくするために語尾に無理やり「笑」とか「~」をつける必要もない。自ら勝手にボールを投げて、どこに向かって飛ばしてもいい。投げずにいきなり打ってもいい。最早何もしないという選択肢すら存在する。これこそが「一方的」な発信ツールの最大の利点ではないか。

 

そもそも、一方的な発信が好きじゃなかったら、7年以上も好き好んでTwitterを主体に生きるような真似してないんですよね。SNSの類が自分に向いてないことなんて十分すぎるくらいに理解している。向いてないなと思う瞬間は今まで数えきれないほどあったけど一番はとにかく心が繊細である点。SNSに向いてない性格ランキング堂々の第一位「繊細」(私調べ)どれくらい繊細かというと、特別好きでもなんでもない芸能人に対する理不尽な誹謗中傷に心を痛めてTwitterをやめたいと思うくらい。自分に対する罵詈雑言なんて見たら心臓止まっちゃうね。だから、私に対して何かしら負の感情を有した人は是非とも陰口に徹してほしい。

「陰口言うやつが一番ダサい笑 直接言うてこんかい笑笑」

みたいな強気な挑戦状を某インスタグラムのストーリー機能に黒背景白文字で投稿できるような心臓に毛が生えた人間じゃないんだ私は。陰口が陰口であるうちは、ひとまず傷つかないだろうから。よろしく頼んだ、まだ見ぬ誰か。

 

とりあえずTwitterを続ける一番の理由が一方的な発信が好きだからである。なら、文字数増えても何とかなるんとちゃうか?しょうもないオタクブログを書いていた黒歴史ももちろん持ってるわけやし、ブログ的なものをまた書いてみるのもありでしょ!あくまで実験的な動機なんだから辞めたくなったら辞めればいい!!

何より、発信の場が多いことはプラスのはずである。前述したが、文章を書く機会というのは多ければ多いほどいい。質を無視して量を生産する手法も全くの無意味ではないはず、と、信じたい。Twitterと違って文字数制限もないし。好き勝手自分語りしても構わんでしょう。このテンションで何かを開始して成功した試しはないけど。

 

実際に何を書いていくかに関して何一つ決められてないね、そういえば。とりあえず見た映画の感想とか、読んだ本の感想とかそんな感じか?いや分かんね。一つに決めたりすると続けにくくなったりしそうだから決めないほうがいいのかしら。決めないと文章が散らばって逆に続けにくいとかあるかな。おっと、何もわからない。見切り発車様様ですね。計画性というものが極端に欠落していることがバレるバレる。

しかしまあ、これが最後の投稿になる可能性もあるわけやし、なんか面白いことでも言っときますか。

布団が吹っ飛んだ!

こういう面白いこと言うみたいな流れで、布団が吹っ飛んだとかアルミ缶の上にあるミカンみたいな古典ダジャレに逃げるやり方、二度と使うなよ。恥を知れ。